分かるけど。。。という思考

気付いたらもう12月30日。事実上、今年最後の日ですね。明日はギリギリ12月ですが、主日ですから、もう来年の週に入ります。

今年は、光をつかむように速く!というみことばから始まり、途中からは古いものを捨てなさい、霊的にしなさい、というみことばが宣布され、私たちに対して主が様々に変化を求められた一年だったような気がします。

昨日の箴言では、また群衆伝道の話が出ました。

速く実践する話、古いものを捨てる話は今年ずっと言われ続けてきましたし、群衆伝道に関しても初めて出た話ではなく、結構前から言われていたことです。

なのに年末にまた出たということは、私たちがまだまだ変化していないからじゃないでしょうか?

私自身は使命上、インターネットを使って発信している立場なので、先生の御言葉の意味を感じやすいポジションですが、いろいろな人と話をしてみると、人によっては本当にピンと来ていないんだな、と感じてしまうことがあります。

私は性格的にも単純なので、先生がおっしゃれば「じゃあ、やろう!」となるんですが、慎重な方々はそうもいかないようです。

そのような人たちの合言葉は「わかるけど現状は。。。」という言葉。

先生が現状を知らないわけじゃありません。むしろ、現状を見て、それじゃいけないから変えなさいとおっしゃっているわけです。なのに「分かるけど現状は。。。」と言う言葉が出るのは、潜在意識の中で、現状は崩せない、という認識があるからじゃないでしょうか。

崩すリスクを考えてしまうのか、必要性を感じていないか。

でも、主がおっしゃったら、自分の感じ方や現状がどうであれ、つべこべ言わずに宣布されたその日から早速変える方向で動かないといけないと思うんです。

時々考えるんですが、私たちが、さっさと主がおっしゃるように変わっていたら、今出るみことばも、もっと違ったものになっていたんじゃないのかな?と。

主が望んでいらっしゃるのは、さなぎが蝶になって羽ばたく、という変化です。さなぎが成長して、大きなさなぎ、進化したさなぎになったとしても、変化とは言いません。

もう主の口から同じ言葉が何度も何度も出る様な走り方をしないようにしたいものですね。

日常の延長上に。。。

またまた最近思うことの一つ。

ニュースを見ると、どちらかというと、嬉しい話題よりは悲しい話題が多いですよね。

特に最近は、小中学生がいじめで自殺とか、福祉施設で虐待の疑いのある死とか、親が子供を虐待して死なせるとか、とにかく人が死ぬニュースが以前より多くなってしまったような気がします。

一昔前なら、死に至る事件といえば、いわゆる凶悪な「殺人事件」がほとんどだったと思うんですが。。。

でも、最近目につくのは、特別な事件というよりは、日常の延長上で死に至ってしまうようなケースです。それで毎回、どうして防げなかったのか、という議論になります。

つまり、「日常」が一昔前とは違うのでしょう。

生活スタイルが違うのも勿論ですが、それ以上に、人々の日常の精神状態が違うのかな?と思います。

人々の無関心が叫ばれて久しいですが、今は他人への無関心を通り越して自意識が過剰になり、他人の痛みを感じるよりむしろ「自分が痛いんだ!」という考えが日常になっているのかな?という気がします。

ただの無関心なら放っておくと思うんです。でも、他人を死に至らしめるまで執拗にいじめたり虐待するのは、過剰な自己愛に他ならないんじゃないのかな?と。

「お前のせいで」「こいつのせいで」自分がひどい状況になっている、と言う思考。また、とりあえず一緒にいじめておけば自分は安心、と言う思考。

でもこれってまさしくルシファーの考えじゃないですか?

こんな日本のように、聖書も神様もサタンも知らない人々の上にも、着実にサタンが計画を実行しているのだなと認識せざるを得ません。

つまり、サタンもサタンの世界を着実にこの地に広げているということです。

私たちが今自分の問題でぐずぐずしている間にどんどんサタンの世界が広がっているという現状を認識しないといけませんね。

『光をつかむように速く実践!』という言葉は、必要性があるから出た言葉だなと思います。

今年も残りわずかですが、最後までサタン以上のスピード感をもって神様の世界をこの地に着実に広げていきたいですね!