いろんな苦労が。。

また大きな台風が日本列島を縦断しそうですね。本当に「またか」と言いたくなるくらい、今年はいろいろあります。

記録的猛暑、水害、地震・・・。

被災地域が一日も早く復興し、直接的な被害に遭われた方々が心配事から解放され、身体と霊魂の健康を回復されますようにお祈りいたします。

ところで、台風や豪雨などでそこまで被害がない所でも、様々な不都合が起こるのだという事を最近知るようになりました。

例えば、飲食店。

今年東京は他の地域に比べたらそこまで大災害というのはなかったように思いますが、それでも台風が来る度に、予約がキャンセルになったり、客足が遠のいたりしたのだそうです。

まぁ、よく考えたら当然ですよね。自分の事を考えても、暴風雨の中わざわざ外に出かけて食事に行くという事はないですから。

勿論、災害地域の苦労とは比べ物にならないかもしれませんが、それでも商売をしている方々にとっては気苦労が多かったのではないかと思われます。売り上げに直結するわけですからね。

このことを知った時、まだまだ自分が認識してない苦労がたくさんあるんだな、と思いました。言われてみたらわかるけど自発的には認識できないような苦労が。

自分の頭で考えられる苦労や大変さは、恐らく自分が体験したことのあることか、身近にそういう人がいたものだと思うんです。

でも、全世界の人々が経験する苦労や大変さは実に様々な種類があります。

私はただの人間なので、人類の全ての人がそれぞれ経験する苦労を、自分の一生の中で全部経験することは不可能です。ですから、私が認識できない苦労や大変さというのが存在するのは当然なことなんですよね。

だからこそ、一人で大変がっていてはいけないんだなと思いました。

「自分が誰よりも苦労している」と思いたくなる瞬間というのは、多分皆さんにもあったと思いますし、これからもあるかもしれません。

でも、どんな苦労や大変さも『自分の認識できる範囲内で誰よりも苦労しているだけだ』と思えば案外うまく乗り越えられるのかもしれない、と思いました。

また、このような考えに至ったことが神様の祝福だな、とも思いました。

物質の祝福より、考えの祝福が人生には大きな力になりますね。

本当は信心深い日本人

江戸時代の終わりごろ、急に消えた村があるそうです。

原因は、恐らく疫病か何かのためだろうとされていますが、どうやらその村は、山の中にある「夙(しゅく)村」だったようです。

私も今回初めて知りましたが「夙」というのは中世から近世にかけて近畿地方に住んでいた賤民の一つだそうです。

とは言っても、差別そのものはさほど強烈ではなかったようで、近くの村とは緩やかな交流もあったそうです。

その、消えてしまった夙村の近隣住民たちは、今でもお彼岸になると夙村のお墓参りをするそうです。

なぜか?・・・ここが今日のポイント。(笑)

明治になると、消えた夙村の近隣の村で火災が立て続けに起きたそうです。あまりにも大火が続くので、当時の村人たちは『夙の人たちの霊を放置しているからだ』と思い、それから村人たちが夙の村跡を掃除し、夙の氏神の御神体を祭り、山の中に散在していた夙の人たちのお墓を一か所に集め、毎年お彼岸には住職を呼んで供養するようになったそうです。

それから火事は起こらなくなったのだとか。

これは何百年も前の話ではなく、1900年代、つまり20世紀になってからの話です。

現在、日本人の大多数は「無宗教」と称していて、宗教嫌いや宗教に嫌悪感を持っている人が多いのが現実です。また、見えないものは信じないという人も多いです。

しかし、ほんの100年前、同じ日本人がこの世の災いを祟りだとして霊を供養するということをしていたわけです。

しかも、賤民とされている人達の霊を、そうでない人たちが供養してあげるという話は他の国では聞いたことがありません。

ちょっと話はそれますが、昔から日本人は「お天道様が見ている」から、見えない所でも悪いことをしてはいけない、と躾られてきました。

つまり、本来、日本人は見えないものを信じ、恐れ、それを大切にしていたということだと思います。

こういう性質も神様が下さった民族性ではないでしょうか?

現代社会は、日本に限らずどこのだれでも、あれもこれもと見える権利ばかりを主張するカオスな世の中になっています。でも、こういう時代だからこそ、原点にもどって目に見えないものを大切にするものいいんじゃないかな・・と思うのです。

情報源☞ https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180927-00010000-tanba-l28&p=1