本当は信心深い日本人

江戸時代の終わりごろ、急に消えた村があるそうです。

原因は、恐らく疫病か何かのためだろうとされていますが、どうやらその村は、山の中にある「夙(しゅく)村」だったようです。

私も今回初めて知りましたが「夙」というのは中世から近世にかけて近畿地方に住んでいた賤民の一つだそうです。

とは言っても、差別そのものはさほど強烈ではなかったようで、近くの村とは緩やかな交流もあったそうです。

その、消えてしまった夙村の近隣住民たちは、今でもお彼岸になると夙村のお墓参りをするそうです。

なぜか?・・・ここが今日のポイント。(笑)

明治になると、消えた夙村の近隣の村で火災が立て続けに起きたそうです。あまりにも大火が続くので、当時の村人たちは『夙の人たちの霊を放置しているからだ』と思い、それから村人たちが夙の村跡を掃除し、夙の氏神の御神体を祭り、山の中に散在していた夙の人たちのお墓を一か所に集め、毎年お彼岸には住職を呼んで供養するようになったそうです。

それから火事は起こらなくなったのだとか。

これは何百年も前の話ではなく、1900年代、つまり20世紀になってからの話です。

現在、日本人の大多数は「無宗教」と称していて、宗教嫌いや宗教に嫌悪感を持っている人が多いのが現実です。また、見えないものは信じないという人も多いです。

しかし、ほんの100年前、同じ日本人がこの世の災いを祟りだとして霊を供養するということをしていたわけです。

しかも、賤民とされている人達の霊を、そうでない人たちが供養してあげるという話は他の国では聞いたことがありません。

ちょっと話はそれますが、昔から日本人は「お天道様が見ている」から、見えない所でも悪いことをしてはいけない、と躾られてきました。

つまり、本来、日本人は見えないものを信じ、恐れ、それを大切にしていたということだと思います。

こういう性質も神様が下さった民族性ではないでしょうか?

現代社会は、日本に限らずどこのだれでも、あれもこれもと見える権利ばかりを主張するカオスな世の中になっています。でも、こういう時代だからこそ、原点にもどって目に見えないものを大切にするものいいんじゃないかな・・と思うのです。

情報源☞ https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180927-00010000-tanba-l28&p=1