明日必ず生きられる?

日本には江戸時代から切腹の美学があるせいか、自殺を「生き方の選択の一つ」と考える人々も多くいます。

それだけが理由ではありませんが、実際、日本は自殺者が多い国ですよね。

日本以外でも自殺の問題を抱えている国はありますが、不思議なことにそのほとんどは、いわゆる「先進国」と言われるている国なのだそうです。

今日明日の食べ物にも困る状況下にいる人々や、何千もの人々が餓死線上をさまよっているような難民キャンプの状況を見ると、日本人の目には自殺を考えてもおかしくないようなお先真っ暗な人生に見えます。しかし、不思議とそのような場所では自殺願望の声は聞かれないそうです。

実際、現地の彼らが常に考えていることは、今夜の食料を得ること、つまり「生きること」なのだそうです。

人間は生きられる保証のない人生ほど「生きたい!」と思うようです。

逆に死ぬことを考えられるのは、生きること自体が当然になっているからなのかもしれません。

でも、いくら先進国だからと言って、明日も必ず生きられるという保証は一つもありません。

ついさっきまで元気な姿を見たのに、数時間後には事故で亡くなったり、数日前には普通に会話した人と二度と会えなくなってしまったり・・・実際、人生はいろいろあります。

私自身も、母と電話で何気ない適当な会話をしたのが最後、その三日後に母は意識不明になりました。そうなると分かっていたならあの時もっと意味のある話をすればよかった、と当時は思いました。

だから、実際は食べ物が十分にあっても、環境が整っていても、人間が明日必ず生きられるという保証はないんですね。

だから、本当は毎日生きていることは当然なことではないんです。むしろ感謝すべきことだと思います。生きていれば何かしらの活動ができるからです。

聖書にもこう書いてあります。

『すべて生ける者に連なる者には望みがある。行ける犬は死んだ獅子にまさるからである。』(伝道の書9:4)

どんな大物でも死んだらもう何もできません。逆に、取るに足りない小さな存在でも、生きていれば何かしらできる可能性があります。

私たちは神様から命を頂き、この世で「生かしてもらっている」ということを忘れたらいけませんね。