大人の対応

具体的なことは差し控えますが。。。

最近のいろんなニュースを見て、そして今までの経験も踏まえて思うこと。

相手によっては、おかしいことはおかしい、正しいことは正しい、ときちんと言わないことはかえって付け込まれることになるのだな、という事。

事なかれ主義で、波風立てるよりは黙って静かにしていれば・・・とか、いちいち言わなくても正しいことはいずれ分かってもらえるはず・・・などのいわゆる「大人の対応」が通じるのはお互いがアベル同士の場合のみ。

相手がカインの氏族ならそういう対応はむしろ害になる場合があるようです。なぜなら相手はこちらの思っているようには受け取らないから。もっと端的な言い方をすればサタンの思考で受け取るから。

黙っていると、要求を呑んだ、従った、という風にしか受け取らないようですし、カインは常に上下関係でものを見ますから、自分が上だと勘違いするようです。というか、最初から自分が上だと思って接してくるから黙っていると自分に屈服したと思うらしい。

だから、正義感と善人意識だけで「誰にでも平等」に「大人の対応」をすればよい、というわけではないようです。

だから・・・なんというか。。。「大人の対応」が通じる者同士というのは祝福された関係なのだな、と思いました。(笑)

実際、「大人の対応」で済めばお互い罪を犯さずに済みますし、余計な労力と時間を費やすこともありませんからね。

神様が私たちに対して罪をいちいち問いただすことをせず、常に「大人の対応」をしてくださっていることに感謝するしかありませんね。

性格は進化しない?

よく、あの人は「優しい人」「怒りっぽい人」など、人の性格を〇〇な人、というカテゴリーでわけて考えることがありますよね?普段の会話にもよく出てくるだろうし、心理ゲームや占いなどにも使われていると思います。

実はこのような分類の仕方は、古代ギリシャ・ローマ時代から行われていたようです。

古代ギリシャの哲学者・植物学者のテオプラストスは『人は様々』という著書の中で、人の性格を「へそまがり」「おしゃべり」「虚栄」「恥知らず」など30種類取り上げて、当時の人々の生活をリアルに表現しながら解説をしているそうです。

例えば「へそまがり」は挨拶されても返さず、道で石に躓けばその石に悪態をつき、長いこと待つことはしないなど、言葉や態度が荒っぽい人として描かれているのだそうです。

個人的には、ちょっと興味が湧いたのでその本を読んでみたくなりました。(笑)

ところで、古代ギリシャ時代と現代とでは随分世の中が違っていると思うのですが、当時も今も同じような人がいるという事が面白いなと思いました。つまり、人間の中身ってそんなに変わってないのだなと。

人間の外見は進化し、変化しています。人類の祖先と言われる原人と現代人を見比べれば一目瞭然です。

世の中も進化しています。文明の利器が発達して、今現在もどんどん便利なもの、早いもの、精密なもの等が生み出され続けています。

社会思想もどんどん変化しています。

でも、人間一人一人の性格というのは、時代が進んでも進化しないようですね。外見や世の中の進化につられて人類の性格もどんどん進化して良くなっていけば良かったのですが、今も凶悪な犯罪がある現実を見るとそういうわけにもいかないようです。

結局、人間の性格は人類の進化のように全体的に進化するのではなく、個人が意識して自分を作っていかなければいけないという事だと思います。

これは神様が人間一人一人に与えた責任分担ですね。

自分の「一生」という決められた期間の中でどれだけ自分の中身を進化させられるのか、それが神様から全ての人に課せられた使命なのだなと改めて思いました。