兄弟愛は微笑ましい

今朝、礼拝に行く地下鉄の中での一コマ。

私が座席に座っていると、途中で母親2人と子供4人のグループが乗ってきて、子供4人のうち3人だけ座席に座らせていました。

もう1人の子はまだ小さくてお母さんに抱っこされてる状態でした。

そうしたら恐らくその子のお兄ちゃん(多分4,5歳くらい)が「僕が抱っこしてあげるからおいで!!」としきりに言うので、お母さんが小さい妹を座っているお兄ちゃんに渡し、お兄ちゃんは大事そうに、かつちょっと誇らしげに妹を抱っこしながら頭をなでてあげていました。

お兄ちゃんもまだ子供なのに、ちょっと背伸びして頑張って可愛がっている感じでした。でも本人はしっかり妹の世話をしているつもりだと思われます。

その光景がとても微笑ましく、見ていて心が和みました。

その時ふと、私のような他人が見ていてもこういう光景は微笑ましいと感じるのに、ましてや天は、愛する人同士が仲良くしたり、自分が霊的に幼くても一生懸命可愛がったりしている姿を見たら、さぞかし愛らしく感じるのだろうな、と思いました。

私たちは信仰生活の中で、ついつい自分の足りなさばかりを見て「私はまだ‥」と遠慮しがちですが、相手を可愛がったり愛したりすることには年齢制限もないし資格もいりません。

このお兄ちゃんのように、お母さんに積極的にねだって可愛がるくらいの心が、むしろ私たち大人に必要なのかもしれませんね。

同じ単語でも…

今回は、同じ言葉・単語でも人によってこんなにも受け取り方が違うのか、という事を強烈に認識した体験をご紹介しますね。

実は私、過去に日本語教師をしていたことがあるんです。

その時、初級クラスの授業を受け持っていた時のことです。

『~~は好きです』『~~は嫌いです』という表現を勉強していたんですね。初めはテキストに従って解説をして、その後、私が教室の生徒さんを指名して「〇〇さん、~~は好きですか?」とか「嫌いですか?」という質問をして答えてもらうという事をしていました。

そして、ある韓国人の男子学生に「〇〇さん、犬は好きですか?」という質問をしました。学生と言っても男性の学生たちはほとんど20代後半でしたね。女性は10代もいましたけど。もしかしたら当時は徴兵が終わってからじゃないと留学できなかったのかもしれません。

まぁ、とにかく、20代後半くらいの男性に「犬は好きか嫌いか?」という質問をしたわけです。

もし日本人がこの質問を聞いたら、「私は猫の方が好き」とか「私は犬派」とかそういう感じで考えるんじゃないかと思うんです。

ところがその時私が指名した男子学生はなんと「犬肉最高!!」と答えたんです!(笑)

そうしたら、他の韓国人と中国人の男子たちも口々に「そうそう!犬肉は最高!おいしい!!」と言ってかなり盛り上がってしまいました!(笑)

物凄くカルチャーショックでしたね~。ただ、同じ韓国人と中国人でも、女性は「え~?なにそれ~??」と言わんばかりに嫌そうな顔をしていたので、女性は食べないのかもしれません。

犬肉ついて詳しいことは分かりませんが、とにかく実際の体験としてこういうことがありました。

「犬」という単語から連想されるものが彼らと私とでは全然違ったんですね。

これは日ごろそれについてどう接しているか、どういう認識観を持っているかで同じ単語から浮かぶ考えが全然違うということの典型的な例だと思います。

人についてもそうだし、人の言葉についても何事についてもそうです。

こういう認識感のずれから偏見や誤解が生じ、不信感が生まれてくるのだと思います。

犬についても、世界のある地域には食用の犬がいるということを知らず、そのような習慣もない人が「犬肉最高!」という言葉だけを聞くと「なんて野蛮な・・恐ろしい‥」としか考えられません。

自分の認識は今まで自分が見聞きしてきたことから形成されてます。しかし自分が見聞きして来たことは世の中の一部分です。全てをご存じなのは神様だけ。それを自覚していないと偏見と誤解の塊になってしまいます。

何事も自分の認識感だけで判断してはいけませんね。