衝撃的な貼り紙

先日、このブログで「外のものはどうでも良い?」という題名の記事を書きましたが、今回はその続編です。

「外のものはどうでも良い?」という記事では、うちの近所のコンビニでイートインのごみ箱が使えなくなったという内容をお伝えしました。家庭ごみや他のゴミをイートインのゴミ箱に入れる人が多かったらしく、店主の名で「ゴミ箱使用禁止」の貼り紙がしてあったという内容です。

そのコンビニで、昨日、さらにショッキングな貼り紙がありました!そこには

『本日、ゴミの放置があまりに多いので、イートイン休止いたします。店主』

そして小さく赤字で『今後も同じように対応しますのでご了承ください』とありました。

とうとうイートインの使用そのものが禁止になってしまったんです!一応「本日」と書いてあったので今後ずっと使えないというわけではないとは思いますが。。。

きっと、ゴミ箱が使えないからそこに置いていってしまったんでしょうね。ゴミは店員に渡せばよい、という事にはなっていたんですが、もしかしたら店員に渡せないゴミ(コンビニで買ったものではないゴミ)があったのかもしれません。

う~む。。本当に考えものです。。。。(>‗<)

この貼り紙を見た時、私は真っ先にここの店主の怒りや苛立ちを感じてしまいました。どんなにひどいからここまでするでしょうか?正直、イートインを禁止したら売り上げは落ちると思うんです。それでもここまでの強硬手段に出た店主の心情を考えてしまいました。

さらに、ゴミを置いていった人たちは罪に該当するなと思いました。店にごみを放置するというのは社会的に考えても迷惑行為ですが、霊的にも罪だなと思ったんです。人をこれだけ怒らせているわけですから。

本人に直接的に暴言を吐いたり、嫌がらせをしたりすることは罪だと誰もが認識できると思いますけど、間接的にだとしても、たとえ自分はお気楽に悪気なくしたことだとしても、その結果相手が怒ったり、悲しんだり、傷ついたり・・などの状態になるならそれは罪だなと。

ゴミを放置した人はイートイン休止の貼り紙を見てどう思うんでしょうか?実は放置している人ほどたいして何も感じないのかな?

でも、これによってきちんと使用していた人たちまでが使えなくなってしまったわけですから「申し訳なかった」くらいには思ってほしいですし、もっと言うと、ちゃんと悔い改めないと罪の霊になってしまうだろうなと思いました。

それと同時に私たちが悪気なくお気楽に「まぁ、これくらいはいいか」と思ってやっていることが、誰かに怒りや悲しみを与えてはいないか、よく考える必要があるなと思いました。

改めて、この世で誰もが心地よく過ごせる「地上天国」は神様が無条件与えてくれるのではなく、みんなで作っていくものだな、と思いました。自分も含めたみんなが日々気分よく過ごせるように個人個人が心がけていきたいですね。

コンビニの貼り紙です。

私たちにできること。。。

最近、児童虐待について、痛ましい事件がありましたね。もうそれに関する新たな情報を見るのが辛くなるほど痛ましいです。こういうニュースが絶えないのは本当に残念でなりません。

こう言う事件が起こると、必ずと言っていいほど、①虐待した親を非難し、②行政の対応を非難し、③命を奪われた子供に同情を寄せる、というのがお決まりの反応です。

そして、これが何年も前から繰り返されているような気がします。

でも、非難し、同情するだけでは何も変わりません。

とはいうものの、私たちは信仰の世界の人たちだから、行政的にあれこれはできません。でも、私達だからこそできることがあると思うんです。

霊的に考えると、虐待はサタンの主管を受けた人の行為です。サタンは人間に対する哀れみや同情心を一切持ち合わせておらず、人間が苦しむ姿を見て楽しむ存在です。特に罪のない子供を虐待するのは、正当な理由がありません。狂気の沙汰です。

そして、狂気の沙汰の事件が減らないという事は、いまだに日本の中でサタンが猛威を振るっているという事を意味します。だから、絶対にサタンを撲滅させることが必要です!

私たちは福音を伝える時や証する時、こういうことも、もっと真剣に話してもいいのではないかな、と思います。

つい、目の前の相手にいいことや、自己実現に関するようなことばかりをを言ってしまいがちなんですが、日本を変えたいと真剣に考えている人もいると思うんです。

思い起こせば、私が新入生の時、まだ草創期のころですが、先輩方からは、この福音は世界を変える福音だ、とか、今日本の現状がこの福音を必要としている、などの大きな証をされた記憶があります。

勿論、誰にでもヒットする証じゃないですけど、私たち自身も、もっと大きな視野を持ち、お決まりパターンの証から脱しないといけない気がします。

そして、証だけじゃなくて、私たちの信仰生活も、日本の問題を意識したものになっていくべきだと思うんです。先生も民族のために祈りなさいと常々おっしゃってますし。

実際、私たちの聞いているこの福音は個人的な小さなことだけのために存在するわけじゃありません。

私たちは、世の中の問題を霊的な方面から解決する人たちなんだ、という自負心をもって、この福音を述べ伝えていきたいですね。