隣の住人(恐らく最終回)

今朝、家の玄関の外がバタバタするな、と思ってそっとドアを開けて見てみたら、引っ越し業者のような人たちが隣の家のモノを次々と運び出していたんです。

私の家のドア付近にも段ボールが積まれていたため、私が顔を覗かせたら、業者の方から「すみません。しばらくご迷惑をおかけします。」と言ってきたので、「引っ越しですか?」と聞いたら「はい。」という返事でした。

それでもちょっと気になって、『この人たちに聞いても答えられないかな?』と思いつつ「隣の家の人、見つかったんですか?私も警察に聞かれたから気になって。」と聞いてみたところ、「自分たちも詳しいことは知らないんですけど、亡くなったみたいです。」との返答でした。

どうやらこの人たちは引っ越し業者ではなく撤去業者だったようです。

あぁ。。なんか、最悪の結末だな。。と思いました。

死因は分からないので何とも言えないですが、なんとなくそういう結末になるような気がして気になっていたんです。。

イマドキ単身者住宅の隣の住人なんて無関心なのが一般的だと思うんですけど、なぜそんなに気になっていたかというと、隣の人、実は顔にかなり大きなあざがあったんです。

年齢的には恐らく40代くらいの男性でマンションの管理人もしていたわけですけど、一般的にはバリバリ働くような年齢です。

あくまでも私の勝手な憶測にすぎないんですが、この人、顔の事で相当苦労しているに違いない、と思ったんですね。目の周りを中心に顔の右半分がほとんどあざになっていて、かなり目立つ感じでした。

本人とそのことについて話したことがないのでわかりませんが、彼はパッと見社交的な感じではなかったし、このくらいの年頃で管理人しているということは、あまり外には出たがらないのかな、と思ってたんです。

それで行方不明情報が出たので、他人事ながらすごく気になっていたわけです。

もしこの人が神様のみことばを知っていたら。。。本当の人間の価値は霊魂なんだという事を知っていたら。。。そこまで悩まなかったんじゃないか。。悩んだとしても希望は持てたんじゃないか。。。などあれこれ考えが深くなりました。

まぁ、あくまでも私の妄想にすぎないんですけどね。

でも、いろんな意味で、私たちはもっと早く、広く真理を知ってもらう努力が必要だな、と感じました。

御国が来ますように。
御心が天に行なわれるとおり、
地にも行なわれますように
(マタイ6:10)

隣の住人のその後。。

このブログでも書きましたが、先々週、隣の家に警察と消防が突入しました。家主と連絡がとれないということで。

突入した結果「留守」だったということで、警察が置手紙をドアポストに挟んで退散しました。(当ブログの「個人主義のみでは。。」参照)

その後どうなったかというと。。。その手紙が1週間ほどドアポストに挟まれたままでした。

そして一週間後、ドアポストから手紙がなくなっていたので『あぁ、帰って来たのかな?それなら良かったな。』と思っていました。

しかし・・・その翌日、このマンションの管理会社から「重要」という印が押された封筒が私の家のドアポストに入っており、開けてみると「マンション管理人募集」の手紙でした。恐らく、日本人の住人みんなに配られたのだと思われます。(外国籍の住人も結構いるので)

ということはつまり・・・隣の家の人はもう帰ってこないとみなされたのだなと察しました。隣の家の人がこのマンションの管理人をしていたので。

何があったのかはわかりませんが、とにかくこれが現実なんだなと思うしかありませんでした。

隣の家の住人が引っ越し以外の理由で居なくなるということは、私にとっては「事件」に相当する衝撃です。でも、こんなことは世の中のニュースにもならないんですよね。

これを通して、今、ニュースにもならないこういう事があちこちで起こっているのだろうな、と察しました。自分達の知らない所で、表沙汰にはならない悲しい出来事があちこちで起こっている、という事を。

実際、同じマンションの住人でも、違う階の人や警察が来た時居合わせなかった人は隣の家の人と連絡が取れないという事を知りません。きっと私も留守にしていたら知らないままだったでしょう。

それで、どうしてよりによって私の隣の家の住人がいなくなったのだろう?そしてそれを私が知るようになったのだろう??と考えが深くなりました。

きっと・・・神様が私に対して、世の中の表沙汰にならない現実を見せ、そういう事にも関心を払い、祈るように仕向けたのかもしれない、と思いました。

恐らく、神様から見たら、マスコミに取り上げられることだけがニュースではないんですよね。神様からみた重要なことが世の中のニュースとは別にあるという事だと思います。

私たちは、神様から見た重要な事に目を向け、関心を払い、祈ることを求められているのだな、と改めて認識した次第です。