大人の対応

具体的なことは差し控えますが。。。

最近のいろんなニュースを見て、そして今までの経験も踏まえて思うこと。

相手によっては、おかしいことはおかしい、正しいことは正しい、ときちんと言わないことはかえって付け込まれることになるのだな、という事。

事なかれ主義で、波風立てるよりは黙って静かにしていれば・・・とか、いちいち言わなくても正しいことはいずれ分かってもらえるはず・・・などのいわゆる「大人の対応」が通じるのはお互いがアベル同士の場合のみ。

相手がカインの氏族ならそういう対応はむしろ害になる場合があるようです。なぜなら相手はこちらの思っているようには受け取らないから。もっと端的な言い方をすればサタンの思考で受け取るから。

黙っていると、要求を呑んだ、従った、という風にしか受け取らないようですし、カインは常に上下関係でものを見ますから、自分が上だと勘違いするようです。というか、最初から自分が上だと思って接してくるから黙っていると自分に屈服したと思うらしい。

だから、正義感と善人意識だけで「誰にでも平等」に「大人の対応」をすればよい、というわけではないようです。

だから・・・なんというか。。。「大人の対応」が通じる者同士というのは祝福された関係なのだな、と思いました。(笑)

実際、「大人の対応」で済めばお互い罪を犯さずに済みますし、余計な労力と時間を費やすこともありませんからね。

神様が私たちに対して罪をいちいち問いただすことをせず、常に「大人の対応」をしてくださっていることに感謝するしかありませんね。

霊について学ぶ機会

作家の佐藤愛子さんをご存知ですか?

いつも率直な感じの文章を書かれるので個人的に好きな作家の一人なんですが、その佐藤愛子さんがいわゆる「霊体質」らしく、霊についてもいろいろ書かれているんです。

その内容と真偽については省きますが、表現の仕方が面白いんです。さすが作家。

彼女は霊を「冥土のお客」としています。そして、この世のお客との違いを書かれています。

この世ではお客さんが来るにはそれなりの目的があり、その目的通りに行動するのがルールだけど、あの世に行ってしまうとルール無視だから困る、でもお客も目的を伝えられないからもどかしいだろう、と。

なるほど、確かに。。。と思いました。

霊ってなんで怖がられるんだろう??と思ったとき、この世のルールから外れているからですよね。

例えば、この世だったら、突然誰かの部屋に無言で現れるという事はないわけです。ちゃんとアポ取って、取らないとしても、ドアのチャイムを鳴らして「〇〇です。××のために来ました。」と言い、それを聞いた家の人がドアを開けてくれて初めて中に入ります。そして、用事が済めばさようならと言ってドアから出て行きます。

そうじゃなければ泥棒です。泥棒だったら警察に通報して捕まえてもらえます。

しかし、霊はそうじゃありません。アポもないし、ドアのチャイムも鳴らさないし、突然現れます。だからと言って泥棒でもありません。いくら怪しいからと言っても警察が捕まえてくれるわけではありません。一体何のために来たのかもわからない。そして、急に、またはいつの間にかいなくなったりするわけです。

とにかく、法が違うんですよね。霊体と肉体とでは。だから得体が知れないのです。

私は霊が見える人ではありませんが、幸い、聖書を学ぶことを通して霊についてもたくさん学んだのでかなり分かるようになりました。

霊と霊界についても学ばないと分かりません。

見えるかどうか、感じるかどうかで判断すると、見える人と見えない人、感じる人と感じない人がいるし、見える・感じるという人の中でも見え方・感じ方が様々だから、全てがあいまいでオカルト的な興味に焦点が当てられてしまいます。

でも、ちゃんと学んで分かってみると霊は人生の中でとても重要な位置を占めるようになります。自殺も考えなくなると思います。

クリスチャン作家の曽野綾子さんも、日本では「死」についてきちんと教育する機会がないとおっしゃっていましたが、どう生きるか、どう死ぬかということと霊は密接な関係があります。

日本でも霊や死についてきちんと教育する機会が与えられることを願ってやみません。