自然作品

今日、実家関係の事で処理すべきことがあり、朝から父のいる福島県へ行ってきました。

東北新幹線に乗ってからしばらくは本を読んだりメールをチェックしたりしていたのですが、福島県に入るころにふと顔をあげ窓の外を見ると、一面がうっすら白っぽくなっているのが見えました。真っ白ではなく、ちょっと地面が透けて見えるような感じ。

見た瞬間「小雪が舞ったのかな?それとも霜柱かな?どっちだろう??」と思ったのですが、「そういえばここ数年霜柱を見てないかも。。。」と霜柱について思いを馳せるようになりました。

そして、子供のころ、冬に学校に行くとき、わざわざ霜柱をサクサク踏んで歩いたことなど思い出しました。

当時は霜柱なんて当たり前のように見ていたし、特に子供達は喜んで容赦なく踏みまくってましたよね。今となっては珍しいもののように感じます。

考えてみれば霜柱ってとても神秘的じゃないですか?誰かが何か細工したわけでもないのに、自然と冬の土に細くて小さい氷の柱ができるんですから。完全に神様の作品です!

こういう神様の作品って、見て嫌悪感を感じる人ってほとんどいないと思うんです。実際、霜柱だけじゃなくて、自然現象ってとても神秘的で、見る人たちに感動や喜びを与えますよね。

人工的なものはすべて良くない、とは思いませんが、神様の作品は人の好みとか年齢とか人種とか関係なく人々に喜びを与えるという点で、やはり人間にはできないワザだな~と改めて思いました。

自然は神様の作品だと思うと、無下に破壊なんてできないし、感謝して貴重に思うようになるんじゃないのかな。。。とも思いました。

人間に無償で「自然」という貴重な作品を見せてくださり、感動を与えてくださる神様に感謝!!ですね💛

文字で想いを伝える文化

ちょっと前に個人的趣味で、江戸時代の庶民文化についての記事や動画を見たんですね。

そこに、吉原についての話にも触れていたんです。

吉原と言えば、言わずと知れた「遊郭」です。

吉原の遊女の日常生活について触れていたんですが、私がびっくりしたのは、休憩時間には、遊女たちがお客さんから来た手紙を読み、また返事を書いていた、というのです。しかもこれが、お客さんをつなぎとめるための遊女たちの大切な仕事の一つであったそうなんです。今でいう、営業スキルの一つですかね。

明治維新のころ、外国人たちがたくさん日本にやってきましたが、外国人たちが驚いたことの一つは日本人の識字率の高さです。

つまり、遊女が手紙のやり取りをしていたということは、遊女も読み書きができた、という事ですよね?この時代、先進国と言われていた欧米でも女子の識字率は非常に低く、文字が読めるのは貴族階級の一部だったとか。そう考えると、遊女でも読み書きができるという国は日本だけだったかもしれません。

また、近松門左衛門の「曽根崎心中」が上演されてから、心中物の小説や公演がブームになり、それ以降来世で愛が結ばれることを誓った心中事件が多発したため、江戸幕府が心中物の上演や執筆、発行を禁止したそうです。

つまり、幕府が禁止令を出すほど庶民が心中物の影響を受けていたという事は、逆に庶民が文学に慣れ親しんでいた、という事を意味しますよね。

いろいろ挙げるときりがないんですが、とにかく、日本人は昔から、身分を問わず読み書きをとても大切なものとして位置付けていたようです。その影響か、今でも大抵の日本人は言葉を口に出すより、読んだり書いたりする方が得意な気がします。

実際、私が牧会していた時も、アイディアとか、意見とか、みんなの前で求めるとほとんど誰も手を挙げないのですが、紙を配って書いてもらうといろいろと出てくるんです。

吉原の遊女が手紙のやり取りをしていた、という事に衝撃を受けたんですが、逆に改めてこれが日本人の民族性であり、良さだなとも思いました。

国際舞台の場などでは口で勝負しないといけないこともたくさんありますから、これからは日本人も発言力を増していかないといけないと思いますが、一方で、言葉を文字に書いて現したり、書かれたものをじっくり読んで考えたりなど、もともと神様が下さった日本人の民族性も大切にして、もっと発展させていきたいですね。