バレンタインデーの思い出

今日、私用があって出かけたら、繁華街はバレンタインデー商戦で華やかになっていました!

そういえば、もうすぐバレンタインデー。

私自身は昔からバレンタインデーに対してかなり冷めている人だったのですが、実は、その冷めきっていた私にもバレンタインデーにちなんだ忘れられない思い出があります!(多分みんなが期待しているものとは違うと思いますが。。。笑)

それは高校時代のこと。当時は部活の女子部員が男子部員たちに義理チョコをあげる、というのがよくありました。

バレンタインデーが近づいたある日、同じ部活のある女子部員から「私たちもチョコ用意した方が良いのかな~??」と話を持ち掛けられた私は、「え?そんなの別にいらないんじゃない?」と返事をしました。

バレンタインデーって私にとってはどうでも良い行事だったんですね。建て前じゃなくて、本気でそう思っていたんです。だから私の主観でそう答えました。

そうしたら話しかけてきた友人も『そうだよね、いいよね、別に。』と言ってその話はそれで終わりました。結局私の部活では女子部員が男子部員に義理チョコをあげることはありませんでした。

ところで、ちょうどそのころ、体育館の工事か何かで(詳しくは覚えてませんが)、部活が3週間くらいできない期間だったんですね。だから、バレンタインデー前後で部活がなく、男子部員に会うこともなかったのです。

バレンタインデーが過ぎて数日後、私が校舎の廊下を歩いていたところ、偶然ある男子部員とすれ違いました。

すれ違った時はお互いにただ「あ、バイバイ」と言って通り過ぎたのですが、その男子部員が瞬間思い出したように引き返してきて「そういえば!どうしてうちの女子はチョコレートくれなかったの?!すごく楽しみにしていたのに!!すごくショックだった!」と責められたんです!!

私は「え???そうなの??あ~。。ごめん。。ハハッ。。」という感じの返事しかできませんでした。

私にとっても凄く衝撃的だったんです。男子ってバレンタインデーがそんなに大事だったの??もらえないからってショック受けるの?と。

実際、私はチョコレートをあげないことに対して全然悪気なかったんですよ。だから相手がショックを受けてることにショックをけました。(笑)

人の価値観って本当に全然違うんだなと感じた出来事でした。

今となっては笑い話ですが、バレンタインデーが近づくとこの時のことを今でも思い出します。

自分にとっては本当にどうでも良いと思っている事でも、ある人にとっては大事だったりします。

自分がどうでも良いことでも、相手の良心のため、または相手を生かすためにした方が良いこともあるということを忘れてはいけませんね。

(注‼:バレンタインデーには必ずチョコをあげるべき、という話ではありません。)

【参考】(コリント人への第一の手紙8:9)
あなたがたのこの自由が、弱い者たちのつまずきにならないように、気をつけなさい。 (時間のある方は8章全体を読んでみてくださいね)

ブラックな働き方?

職人を育てる徒弟制度はブラックか?という記事がありました。

技術を必要とする職人の業界では新人が技術獲得のため長時間労働をするのは当然という認識のようで、労働実態だけを見れば今の時代では明らかにブラック。

しかし親方サイドでは、自分の時はもっと厳しかった、このくらいやらないと技術は身に付かない、ということらしいです。

労働時間を遵守していると一人前の技術を身につけられない、とする親方側の考えと、無理やり居残りさせられている、サービス残業なんてやってられない、と考える労働者側の認識の違いによって起こっている問題だと思います。

徒弟制度についてはよく知りませんが、とにかく何事も難しい世の中になってるなと思いました。

その記事を見ながら、ふと、自分自身の事を振り返ってみました。今ではなく、牧会していたころ。特に牧会駆け出しのころ。

労働基準法に則れば、私は明らかに違法なほど長時間労働をしていました。特に牧会駆け出しのころは、今よりももっと準備に時間がかかったし、今よりももっと教会の人たち個人個人と密接な関係だったから、個人的に会う時間も多かったし、今ではやらないみんなの食事作りとかあれこれやることも多かったんです。

正直、食事作りやスポーツの後のおやつ配りなどは牧会者がしなければいけない仕事じゃありませんよね。でも当時は違和感を感じるどころか、むしろしてあげたくて率先してしていました。

自分の時間なんてほぼゼロでした。

なので、時には疲れて大変だなと感じたことはありましたが、ブラックだとは思いませんでしたよ。まぁ、神様の仕事ですから、世の中の仕事と同一視はできませんが。もちろん、当時は若かったからできたことです。今同じことはできません。(苦笑)

当時どういう思いだったかというと、「私がいないとこの子たちは生きていけないんだ!」くらいに思ってたんです。今考えると笑っちゃいますよね。相手はもう子供ではなく大学生なのに。恐らくこの思いは聖霊の感動によるものでしょう。

でも、もし、当時「やらされている」という認識だったら、私も辛くなってやめていたと思います。

だから、どんな仕事でも使命でも、自ら能動的にやっているのか、受け身や義務感・責任感だけでやっているのかで感じ方が違ってくるのではないでしょうか。

もちろん、昔の方がよかったなんて思いませんし、労働環境をよりよくして働きやすくすることはとても良いことだと思います。

ただ、「昔と今は違う」という言葉が、物事に取り組む姿勢や精神にも当てはまってしまったら大変なことになるな~と思いました。

信仰の世界では、主への愛が変わってしまったら全てが終わってしまうように、社会の中でも変わってはいけない大切なものがありますね。

情報源→ https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180828-00010000-nishinp-soci&p=1