聖句の背景

クリスチャンであり、作家の曽野綾子さんの旅の体験記を読んで面白いことを知るようになりました!それをちょっと紹介したいと思います。

「求めよ、そうすれば与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば開けてもらえるだろう。」(マタイ7:7)についてです。

これはとても有名な聖句ですが、曽野さんが現地に行って意味を深く理解するようになったそうです。

元々アラブの砂漠に住む人たちには「困っている人は助けなければならない」という厳しいルールがあるそうです。

特に、聖書の時代には、日暮れまでにやってきた旅人には寝床と水、パンを与えなければならなかったそうなのです。

ところが、旅人たちは時間を守らず、夜が更けたころにやってきます。掟では「日が暮れるまで」となっているので、どの家もすでに扉を閉めていて、いくら旅人がドンドンと家の戸を叩いても誰も出てきてくれません。でも、旅人はしつこく叩きます。そうすればしまいには家の人が根負けして開けてくれるからです。

砂漠の夜はとても寒くなるそうで、場合によっては野宿は命にかかわります。日本人の感覚では「そんな夜遅くに家の戸をドンドン叩くなんて失礼な」と思うかもしれませんが、砂漠を生き抜くためには何とか家に入らせてもらう必要があります。ですからあきらめたら生きていけないんですね。

つまり、求めること、探すこと、門をたたくこと・・・これは得られるまで、見いだすまで、開けてもらえるまでしつこくやり続けなさい、という事のようです。ある意味命がけです。

日本人は、ちょっと打診して相手が難色を示すとすぐに引っ込んでしまいます。日本人の感覚では『これ以上やると相手が気を悪くするかも』と思ったり、「やり過ぎると図々しいかも」と思ったりするからですよね。

私も初め『求めなさい』という聖句を学んだ時、相手が何も言ってないのに自分から求めるなんてちょっと図々しいのでは?と思ったんです。

でも、聖書の舞台では、「図々しいと思われたくない」と言って引っ込んでいては生きていけなかったんですね。

こうやって聖書が書かれた地域性や背景を知ると、聖書や神様に対する誤解も解け、もっと深く意味がわかるようになりますね。

どんなことも悟りに!

今日は出先からの帰り道、久しぶりに本屋へふらっと立ち寄りました。

いろんな本が陳列されている中、ふと私の目に留まった本がありました。それは「筋トレが人生を変える!」という本。(すみません、タイトルが正確じゃないかもしれません。)

思わず苦笑しながらその本を手に取り、著者の略歴や目次等を立ち読みしてしまいました。

著者は20代後半の日本人男性ですが、アメリカに渡ってから筋トレと出会い、そこから人生が変わった、という事らしいです。

筋トレして体がシェイプされて健康体になっただけではなく、性格まで変わり、ポジティブ&アクティブな人生に変わったのだそう。

まさしく「筋トレ哲学」を情熱的に書き綴っていたのでした。

なんだかすごく感動したんですが、何に感動したかというと、本の内容じゃなくて、神様って何事も悟りに変えるように啓示を与えて下さるんだな、という事。

筋トレを通してここまで人生の悟りを得、本まで書いてしまうなんて、本当に感心しました。人が神様と波長が合うと何事からも啓示を受けられるんだな、と。

だって筋トレ一つで哲学的な本が書けてしまうんですよ!

ところで、私は中高運動部でしたので、当時は散々筋トレをやりましたけど、特に何の悟りもありませんでした。(^^;

もっと霊的に取り組んでいたら今頃本が書けたのかな???(笑)

過去に自分もやっていた事で本を書いている人を見ながら、自分も本当は本が書けるくらいの悟りを与えられていたのに気付かなかっただけなんじゃないかな、と思いました。

先生の話が面白いのは、卓上の空論じゃなくて全て実生活を通しての悟りだからですよね。しかも、特別な大事件などではなく、全て誰にでも起きる身近な出来事ばかり。

実際、神様は私たちに常に啓示を与えて下さっているんですよね。

私も日々もっと天に波長を合わせなければと悔い改めつつ、神様からのメッセージをたくさん受けとりたいな、と改めて感じた次第です。