性格は進化しない?

よく、あの人は「優しい人」「怒りっぽい人」など、人の性格を〇〇な人、というカテゴリーでわけて考えることがありますよね?普段の会話にもよく出てくるだろうし、心理ゲームや占いなどにも使われていると思います。

実はこのような分類の仕方は、古代ギリシャ・ローマ時代から行われていたようです。

古代ギリシャの哲学者・植物学者のテオプラストスは『人は様々』という著書の中で、人の性格を「へそまがり」「おしゃべり」「虚栄」「恥知らず」など30種類取り上げて、当時の人々の生活をリアルに表現しながら解説をしているそうです。

例えば「へそまがり」は挨拶されても返さず、道で石に躓けばその石に悪態をつき、長いこと待つことはしないなど、言葉や態度が荒っぽい人として描かれているのだそうです。

個人的には、ちょっと興味が湧いたのでその本を読んでみたくなりました。(笑)

ところで、古代ギリシャ時代と現代とでは随分世の中が違っていると思うのですが、当時も今も同じような人がいるという事が面白いなと思いました。つまり、人間の中身ってそんなに変わってないのだなと。

人間の外見は進化し、変化しています。人類の祖先と言われる原人と現代人を見比べれば一目瞭然です。

世の中も進化しています。文明の利器が発達して、今現在もどんどん便利なもの、早いもの、精密なもの等が生み出され続けています。

社会思想もどんどん変化しています。

でも、人間一人一人の性格というのは、時代が進んでも進化しないようですね。外見や世の中の進化につられて人類の性格もどんどん進化して良くなっていけば良かったのですが、今も凶悪な犯罪がある現実を見るとそういうわけにもいかないようです。

結局、人間の性格は人類の進化のように全体的に進化するのではなく、個人が意識して自分を作っていかなければいけないという事だと思います。

これは神様が人間一人一人に与えた責任分担ですね。

自分の「一生」という決められた期間の中でどれだけ自分の中身を進化させられるのか、それが神様から全ての人に課せられた使命なのだなと改めて思いました。

明日必ず生きられる?

日本には江戸時代から切腹の美学があるせいか、自殺を「生き方の選択の一つ」と考える人々も多くいます。

それだけが理由ではありませんが、実際、日本は自殺者が多い国ですよね。

日本以外でも自殺の問題を抱えている国はありますが、不思議なことにそのほとんどは、いわゆる「先進国」と言われるている国なのだそうです。

今日明日の食べ物にも困る状況下にいる人々や、何千もの人々が餓死線上をさまよっているような難民キャンプの状況を見ると、日本人の目には自殺を考えてもおかしくないようなお先真っ暗な人生に見えます。しかし、不思議とそのような場所では自殺願望の声は聞かれないそうです。

実際、現地の彼らが常に考えていることは、今夜の食料を得ること、つまり「生きること」なのだそうです。

人間は生きられる保証のない人生ほど「生きたい!」と思うようです。

逆に死ぬことを考えられるのは、生きること自体が当然になっているからなのかもしれません。

でも、いくら先進国だからと言って、明日も必ず生きられるという保証は一つもありません。

ついさっきまで元気な姿を見たのに、数時間後には事故で亡くなったり、数日前には普通に会話した人と二度と会えなくなってしまったり・・・実際、人生はいろいろあります。

私自身も、母と電話で何気ない適当な会話をしたのが最後、その三日後に母は意識不明になりました。そうなると分かっていたならあの時もっと意味のある話をすればよかった、と当時は思いました。

だから、実際は食べ物が十分にあっても、環境が整っていても、人間が明日必ず生きられるという保証はないんですね。

だから、本当は毎日生きていることは当然なことではないんです。むしろ感謝すべきことだと思います。生きていれば何かしらの活動ができるからです。

聖書にもこう書いてあります。

『すべて生ける者に連なる者には望みがある。行ける犬は死んだ獅子にまさるからである。』(伝道の書9:4)

どんな大物でも死んだらもう何もできません。逆に、取るに足りない小さな存在でも、生きていれば何かしらできる可能性があります。

私たちは神様から命を頂き、この世で「生かしてもらっている」ということを忘れたらいけませんね。